- 2018.11.05
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オーストラリア移住ブログ開始 ~シドニー日本食レストランシェフ高橋様~
ブログをご覧の皆様、こんにちは。
オーストラリアへ移住された高橋様から移住体験談をいただきましたので、数回に分けてブログでご紹介させていただきます。また、今後は、現地からの様子をこちらのブログでお知らせいただける予定です。
オーストラリアへ移住をお考えの方だけでなく、
・いつか海外で生活したいとお考えの方
・憧れや理想を現実にしたいとお考えの方
・海外でチャンスを掴みたいと思っていらっしゃる方
・家族と離れても移住を成功させる秘訣が知りたい方
・スポンサーを見つけて就労のチャンスを掴みたい方
・英語力をどのようにあげたか知りたい方
などなど、いろいろな方々に高橋様の体験談がお役に立てるといいなと思っております。
それでは、第1弾です。どうぞ!
◆背水の陣をひいて決意を決めたオーストラリア移住
もともと、日本で飲食店をやっていました。開業当初から、「いずれは海外で」という気持ちがあったため、少しずつではありますが、渡航までの6年くらい準備資金を貯めていました。「いずれ」とは思っていましたが、シェフという仕事は体力も使いますので、年齢的なことも考えて、先延ばしにせずにチャレンジしようと思い、移住に動き出しました。
日本で一緒に働いてくれたスタッフがいなかったら移住先でやっていけるというビジネスへの自信もつかなかったでしょうし、あの頃のスタッフには今でも感謝しています。(日本で経営していた飲食店のスタッフのみんな↓)
さて、オーストラリアで就労ビザを取得するためには、雇用先のスポンサーが必要です。これは、日本でも同じだと思うのですが、雇用先にスポンサーになってもらうには、仕事を認めてもらい、人としても気に入ってもらう必要があります。そのためには、やはりある程度、見込んでもらって、仕事ができることのアピールが必要ですので、そういう意味では若さや、頑張りがきく体力があるかというのはポイントになったかもしれません。持っていた飲食店を手放すなど、日本に戻れるという退路を捨てたことは不安でもありましたが、自分で引いた背水の陣が、前に進むことだけに集中させてくれました。
◆プレッシャーでもあり、支えでもあった家族の存在
最初の渡航は、妻と小さな子どもを残し、私一人での渡航でした。永住権の申請には英語力が必要なため、まずは、学生として語学学校に通うためです。収入がない期間は、私一人で過ごし、学生ビザで就労できる範囲でわずかな収入を得ながら過ごしました。妻には仕事が安定して住居が見つかったら呼ぶことを約束していましたので、「早く呼んでね」という言葉に応えられるように、英語力アップと、アルバイト先での仕事に専念することにして、渡航を決意しました。
妻とは、子どもが海外の英語環境で教育できる未来を喜びながら、その生活を楽しみにしていました。一人の移住なら責任もそんなになくて、妻と子ども、家族の存在があったからこそ頑張れたのかもしれません。
次回は、週2回のアルバイトをしながら英語力アップのために語学学校に通った高橋様の学生生活を振り返ります。お楽しみに!